私はこれまで数多くの凄惨な現場、いわゆるゴミ屋敷と呼ばれる部屋の清掃に従事してきましたが、そこで出会う依頼主や部屋の状況には、驚くほど一貫した共通点が存在します。まず、部屋が汚い人の職業や社会的地位は、実は非常に多様であり、医師や弁護士、公務員といった、一見すると几帳面で高い管理能力を求められる職業の人々が少なくないという点です。これは意外に思われるかもしれませんが、彼らに共通するのは「職場での過剰な適応」と、それによる「家庭でのセルフネグレクト(自己放任)」です。外で完璧を演じ、全てのエネルギーを仕事に使い果たしてしまうため、プライベートな空間を守る気力が残っておらず、気がつくとゴミに囲まれているというケースが多々あります。また、現場を観察して気づく共通点として「未開封の物の多さ」があります。通販で買った段ボールや、スーパーで買ってきた食材が、一度も開けられることなく部屋の隅で腐敗したり埃を被ったりしているのです。これは、物を買うという行為そのものがストレス解消の手段になっており、手に入れた瞬間に興味が失われてしまうという、心の空虚さを埋めるための依存的な行動パターンを象徴しています。さらに、部屋が汚い人に共通する性格として「優しすぎる、あるいは断れない性質」が挙げられます。人からの頼み事を聞きすぎて自分の時間がなくなったり、人からもらった物を申し訳なくて捨てられなかったりと、境界線が曖昧なことが物の氾濫を招いているのです。清掃現場から見えるのは、単なる不潔な空間ではなく、住人が抱えてきた孤独や過労、そして「助けて」と言えなかった心の叫びです。ゴミは層となって住人の歴史を物語っており、一番下の層には数年前の幸せな記憶が、そして上の層には最近の絶望が蓄積されていることも珍しくありません。私たちがゴミを撤去することは、住人が止まってしまった人生の時間を再び動かすための儀式でもあります。部屋が汚いという共通点を知ることは、私たちが社会の中でいかに摩耗し、自分を見失いやすいかを警告しているように思えてなりません。